晴海は、明治初期に埋め立てが開始され、1966年に106haの現在の形になり、長い間、埠頭等港湾施設、倉庫、東京国際見本市会場等として利用されてきました。

 1984年に晴海地区の地元企業地権者の中に「晴海は東京駅から直線距離で僅か3km程度の距離に位置しているにもかかわらず都市的な土地利用がなされていない」との認識が広がったことを契機に、「地元地権者自らの手によるまちづくり」を推進するとの基本理念のもとに「晴海をよくする会」が設立され、土地利用転換へ向けた活動が始まりました。

 当会が最初に手掛けたのは「晴海アイランド計画」(1986年)の立案でした。当初は、このようなマスタープランは行政が作成するものという認識が一般的で、地権者自らが作成したマスタープランは、非常に珍しいものでした。

 その後、当会は、「晴海アイランド計画」の実現化に向け、晴海1丁目から5丁目の各地権者間で長い期間、協議・検討を続け、その活動の中から最初の事業として、晴海1丁目の「晴海アイランドトリトンスクエア」が竣工し、2001年に完成を迎えました。竣工直前には都営地下鉄大江戸線の「勝どき駅」が開通したことで晴海の交通利便性は飛躍的に高まりました。現在、晴海アイランドトリトンスクエアには、約2万人の就業者が通っており、勝どき駅の手狭さが顕著になってきたことから、駅の改良工事が行われています。その後、引き続き晴海2丁目、晴海3丁目地区での開発が進み、次第に、街の成熟度が増してきていますが、当会では、「まちづくりは建物を建てて終わりというものではなく、竣工後もまちのありかたや社会課題解決へ対応する努力を続けることが重要である」との認識のもと、今日に至るまでの31年間、活動を継続しております。

  現在、我が国には、大規模災害への対応、少子・高齢化対策、女性の社会進出促進、エネルギーマネジメント等の課題が山積みしています。また、東京では国際競争力の強化を旗印に各種施策が実施されており、都心部ではオフィスや商業施設の開発が活発に行われていますし、3環状道路(圏央道、外環道、中央環状線)のほか、環状2号線等のインフラ整備も進んでおります。

  晴海地区の最大の弱点である地下鉄等大量輸送機関の脆弱性については、2016年4月20日の交通政策審議会小委員会において「都心部・臨海地域地下鉄構想の新設及び同構想と常磐新線延伸の一体整備」の方向性が示されました。新線整備の実現までには、多くの課題について中央区等行政機関、地下鉄の事業主体、沿線開発等と協力して進めていく必要がありますが、地下鉄の実現に向け、今後とも継続して活動を続けていきたいと考えております。

  更に、東日本大震災や熊本地震を受け、安全・安心なまちづくりへ向けての取組も一層強化されています。また、オリンピック・パラリンピック選手村の建設開始時期を迎え、晴海のまちづくりは、新たな転換期を迎えようとしています。今後、オリンピックレガシーを如何にまちづくりに生かしていくかなどの議論を活発に進めていく必要があります。

  東京の国際競争力を強化するためには、グローバルな人材が活躍し、生活できる場所を提供することが重要です。東京の成長は我が国の成長であり、東京が力を付ければ、それが地方に伝搬し、最終的には国が力をつけるという流れになるのだと思います。その最先端の一つに晴海があるとの認識のもと、社会課題の解決と魅力あるまちの実現に向けて、会員の皆様とともに邁進して参りたいと存じます。

2016年11月1日
晴 海 を よ く す る 会
 会長 松 野  仁